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「朝日新聞に次のような記事が有ったので、原文に一切、手を加えず引用・掲載します。2008年4月10日〜13日、朝日新聞より」
【平泉の難問】
景観保全の現状 今夏の
世界文化遺産登録を目指す「
平泉」。登録後を見据えた活用の動きが出ているが、実は「難問」が横たわっている。「
浄土思想を基調とする文化的景観」というキーワードが世界にどこまで理解されるかという懸念だ。推薦書には「良好な文化的景観を形成している」とあるが、専門家からは景観保全の取り組みに疑問符もつく。現状をリポートした。

「
平泉」構成資産の一つ、金鶏山。高圧電線が貫き鉄塔が立つ=
平泉町、本社ヘリから。
「
平泉は変わって行った。(中略)今後も変わることだろう。ただ、気になるのは変貌(へんぼう)の指針が健全かどうかである」
平泉での発掘調査や柳之御所遺跡の保存などの功績で知られる故・藤島亥治郎博士は、81年に書いた回想録「発掘された
平泉 夢のあと」で、高速道路や新幹線など開発が次々と進み、景観が変わってゆくことを憂え、こんな一文を書いた。
世界文化遺産に登録されるためには、(1)文化財保護法による指定・選定など(2)同法により指定・選定された地域の保全管理計画の策定(3)緩衝地帯の景観条例制定――の三つが必須条件とされる。「
平泉」の構成資産を抱える自治体は04年以降、次々と景観条例を制定した。
政府は06年12月、
ユネスコ世界遺産センターに「
平泉」の推薦書を提出した。この際、緩衝地帯(バッファゾーン)の保護には「各市町が定める景観保全条例で万全な保護措置が講じられている」と記載された。
しかし、国際記念物遺跡会議(
イコモス)元副会長の西村幸夫・東大教授は「景観保全条例の多くは、世界遺産の登録条件を満たすためにつくられたもので、最低限のルールに過ぎない」と辛口だ。
九つある構成資産のうち六つを抱える
平泉町は、04年3月に景観条例を制定したが、今年度さらに、国の景観法(04年施行)に基づいて罰則も伴う厳しい内容の条例を制定する予定だ。世界遺産委員会が開催される前の6月議会にも成立させたい考えだ。
規制強化の検討は篠原修・東大教授(当時)が委員長の「庭園文化都市まちづくり構想検討委員会」が組織された03年度から始まった。
景観計画区域を全町とし、「東北の自治体でも規制の範囲や内容は最も厳しい」と担当の建設水道課は説明する。だが、適用となるのは原則として改築、増築などの場合で、今ある建物に関しては規制が及ばない。
「違法広告」の取り締まりも課題だ。世界遺産の候補予定地で県の屋外広告物条例に違反した広告は、04年度の調査で503件あった。今年1月15日までに441件を是正指導したが、まだ62件(12%)が残る。中には公共広告物も含まれるという。
指導の担当職員は一関市と奥州市の県出先機関に1人ずつで、しかも兼任だ。県庁内では「観光PRなどを担う部署に比べマンパワーが足りない」との声もある。県条例の主な規制基準も71年の全面改正以降変わっておらず、措置命令という強い行政指導は一度も出ていない。
平泉に関する景観条例は3自治体で四つある。このうち、国の景観法に基づく条例は、現段階では一関市の本寺地区の景観保全条例だけ。
平泉町では制定作業が続くものの、ほかの地域での条例に強制力はない。基準に適合しない場合、首長は指導や助言はできるが、それ以上の行政処分はできない。
藤島博士の懸念は、今も課題として残り続けている。
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記録映画作家・羽田澄子さんに聞く芭蕉が「夏草や――」と詠んで300年余。開発や保存活動などが進み、「
平泉」はいま
世界文化遺産の登録をめざす。識者やゆかりの人に、
平泉への思いや課題などについて尋ねた。

羽田澄子さん。

羽田さんが手がけた岩波写真文庫「
平泉」(52年8月・岩波書店発行)
――52年4月に訪問しています。
平泉はどのような場所だったのでしょうか。
駅前に旅館がありましたが、それを過ぎると畑と池が続いていました。中尊寺の月見坂入り口周辺には何もなく、右側も草ぼうぼうの場所が北上川につながっているという印象。毛越寺も、そばまで行くとやっとお寺とわかる状況で、茫漠(ぼうばく)というより索漠(さくばく)という、寂しい寒村という感じでした。
――なぜ
平泉を取り上げることになったのですか。
戦前にドイツで活躍し、日本人で初めて「ライフ」のカメラマンになった編集長の名取洋之助さんが
平泉の企画に乗り気で、「面白い歴史が残っている。京都、奈良とはまったく違った雰囲気がある」と言うんです。その2年前には藤原氏4代の遺体学術調査が行われ、
平泉はとても注目されてもいました。
取材してみると、金色堂も相当傷んでいました。かつて栄えた文化が中央の権力に滅ぼされ、自然の中で風化して残ったという雰囲気が強く伝わってきました。
――写真文庫には農家が点在し遺跡がわずかに残る情景が記録されています。
地元の方が「ここは柳之御所の跡です」という場所を見ても、「どこですか」と。中尊寺の金色堂は古い覆堂(おおいどう)があった時代で、中は真っ暗でどうなっているのか分からない状況でした。ライトアップして人に見せるという状況ではなく、大事に囲っていたという印象です。
毛越寺では案内役のお坊さんに、ぜひ延年の舞を撮ってほしいと言われました。大泉が池のそばにござをひいて「勅使(ちょくし)舞」などを演じていただきましたが、お坊さんは純粋な東北弁で、説明が聞き取れないのです。今思えば痛恨事でした。
――今の
平泉と、取材した当時の
平泉の違いは。
写真を撮影した時は、
平泉全体が醸し出すものを感じました。お寺が傷んでいても、傷みが時間や歴史を語っていました。そうした情緒を
平泉の土地と遺跡全体が持っていたわけです。復元され奇麗になったのはいいのですが、私が感じた「全体が醸し出す歴史」は消えました。
――醸し出す歴史とは。
遺跡も農村も一体となっていて、そこに立つと「歴史と時を感じる」という雰囲気です。今、
平泉の町並みは新しくなりました。しかし、今の建物は伝統的な木造建築とはスタイルが違います。昔は古い文化の雰囲気がそのまま残り、古い歴史と建物が融和し一体感がありました。今は一体感はあまりないですね。
――
平泉の現状をどう感じますか。
非常に複雑です。歴史の無残さは昔の方がよくわかりました。今はきれいになりましたが、歴史的な雰囲気は感じられません。歴史的なものを大切に保存するというのは大事です。取材した当時のままであれば朽ち果てるだけですから。しかし、どっちがいいかと聞かれると、心境は本当に複雑なものがあります。
――世界遺産登録の行方をどう見ますか。
登録されてほしいですね。しかし、
浄土思想や藤原氏三代が築いた歴史を海外の方に理解してもらうのは大変では。そして、登録を目指すのであれば、
平泉らしいまちづくりを工夫すべきだという気がします。ほかの地方都市と同様、「普通」に発展してしまいました。
◇
はねだ・すみこ 記録映画作家。82歳。岩波映画製作所に入社、52年4月に岩波写真文庫の取材で「
平泉」を訪問した。57年「村の婦人学級」で初監督。81年にフリーの記録映画作家に。「早池峰の賦」(82年)、「歌舞伎役者片岡仁左衛門」(92年)などの作品がある。東京在住。
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東大工学部教授 西村幸夫さんに聞く ――
平泉は「文化的景観」というカテゴリーでの登録を目指していますが。
それについては実は論議がありました。06年6月の一関市での国際専門家会議で、外国の専門家から「
平泉は都市といえるのか」との指摘が出ました。日本側は「京都、奈良に匹敵する都市文化があった」と主張しましたが、外国人からすれば、為政者、市民、産業、宗教的シンボル、それら全部がそろって都市だ、と。
平泉には宗教的建物と為政者の建物跡はあったが、例えば庶民の生活はどうだったのか。それで、都市といえるのかという疑問が出たわけです。そこで「
浄土思想」という考え方に注目が集まりました。

西村幸夫さん
――
浄土思想の意味づけはどうとらえたのですか。
当時の都市は(平安京、平城京のように)中国から来た四角い都城のイメージです。
平泉では、自然に組み込まれるように都市がつくられた。城壁に囲まれた防御向きの都市なら世界中にありますが、
平泉は、金鶏山(きんけいざん)を須弥山(しゅみせん)とし、浄土庭園を造り、地形を仏教思想を体現したものとし、「平和都市」をつくろうとしました。「平和」を理念に都市形成した例は世界的にも珍しい。
ユネスコの理念にも合う。金色堂に眠る遺体も、先祖がこの地を見守るとの意味づけがある。こうした思想は他にないでしょう。
――しかし、現状の風景を「文化的景観」と説明するのは難しいという声もありますが。
今の町並みは、創建当時とはまったく違います。地中に眠る遺構と今の都市構造も無関係です。現在の都市構造が古都・
平泉を継承してできたものと評価できればいいのですが、できないのが残念です。
――地元の景観保全の取り組みをどう見ますか。
生きている都市ですから、昔の姿に戻せというのは無理ですが、今後の方策はありえると思います。例えば金鶏山を大事にするのならば、周辺に変な構造物を建てるということにはなりません。
――バッファゾーン(緩衝地帯)での景観保全について厳しいご意見をお持ちですね。
海外では、世界遺産登録地での開発行為は基本的に許可制です。特に先進国ではそれが当たり前です。推薦書を
ユネスコに提出した当時、
平泉町の景観条例は開発行為が届け出制で、許可制ではなかった。世界に責任が持てる景観保全のルールを決めなければいけないと思います。コアゾーン(核心地域)が厳しく規制されても、周辺に土産物店が並んでは意味がない。日本有数の景観規制を持つ京都も、何年もかけて準備しました。
――世界遺産となるためには景観の風格も大切、と説いています。
和歌山県・高野山の門前町がひとつのモデルになると思います。高野町では「欧州の旅行客が泊まって満足できる町にしよう」というコンセプトで景観づくりを考えています。
――世界遺産委員会で景観保全に注文がつくことは。
紀伊山地の霊場と表参道、石見銀山遺跡の登録のときは、「電線が地中化されていない」「バイパスが遺産の近くを通る計画があるが、景観上問題はないか」など、細かな指摘がありました。
平泉の登録審査でも、改善を約束しなければならないような事態も想定されます。
◇
にしむら・ゆきお 東大工学部教授。56歳。専攻は都市計画。05年10月まで3年間、国際記念物遺跡会議(
イコモス)の副会長を務めた。理事も含めると通算9年間
イコモス本部の運営に携わり、審査した遺産件数は約400件に及ぶ。石見銀山遺跡の推薦書にも作成専門委員としてかかわった。
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記念物課長 内藤敏也さんに聞く ――世界遺産登録の可否を左右する国際記念物遺跡会議(
イコモス)の勧告はいつごろ出るでしょうか。
ユネスコに勧告を出す期限は5月21日。
イコモスからパリの
ユネスコ世界遺産センターを通じ、日本政府へは、日本時間の5月22日までに連絡があると考えています。

内藤敏也さん
――勧告はどの程度の重みがあるのですか。
基本的に、世界遺産委員会での論議は
イコモスの勧告を土台に行われる。極めて重い意味があると言えます。
日本の場合、昨年の石見銀山遺跡が勧告で「
登録延期」とされました。他国のケースでは、世界遺産委員会の審議の中で一部候補地の登録を「留保する」ということもありました。
イコモスの勧告や委員会審議の中ではそうした可能性は絶えずあり得ます。
――「
平泉」の構成資産には、達谷窟(たっこくのいわや)、白鳥舘(しろとりたて)遺跡、長者ケ原廃寺跡と、藤原3代以前の遺跡もありますが。
九つの構成資産は、これまでの調査研究を経たものであり、推薦書作成委員会などにおいても合意いただいたもので、現時点で「ベストのもの」と考えています。
しかし審査物件の登録採択率は下がっています。04年に8割だったのが昨年は6割まで落ちました。こうした事情を考えると、石見銀山のように「登録」以外の勧告が出る可能性はあり得る話です。
平泉については説明も尽くしたので、評価が得られると願っています。
――2月末に
イコモスへ提出した追加情報の内容は。
平泉の構成資産と
浄土思想の関係に関すること、浄土庭園の保全整備に関すること、の主に2点です。庭園には毛越寺のほか、無量光院(むりょうこういん)跡、旧観自在王院(かんじざいおういん)も含まれます。写真や図なども併せて提出しました。
――
イコモスの審査の行方について情報はありますか。
だれが審査員なのかも含めて、情報は明らかにされていません。
――世界遺産委員会国(構成21カ国)の大半はキリスト教、イスラム教文化圏です。3月に
平泉を訪問した近藤誠一・
ユネスコ日本政府代表部大使は、「
浄土思想」をどうわかりやすく伝えるかが難しいと話していました。
浄土思想を欧米人にどこまで理解してもらえるかについては、ちょっと注意しなければと思っています。登録推薦書や追加情報では、専門家の説明をそのまま伝えるだけでなく、図などを用いて、できるだけ分かりやすく説明することを心がけてきました。
――
平泉の推薦書のタイトルは「文化的景観」ですが、遺跡の多くは地下遺構です。見えない部分も含めて「文化的景観」と提案することへの不安はありませんか。
「文化的景観」は比較的新しい概念です。どうとらえるかによって評価が変わる可能性がないわけではありません。そうした中、庭園を含めた寺院の配置や一関市本寺地区の農村景観、束稲(たばしね)山の風景など文化的景観としての意義について説明に努めています。
◇
ないとう・としや 文化庁文化財部記念物課長。43歳。88年に文部省入省。同省体育局体育課課長補佐、在タイ日本大使館1等書記官、文部科学省初等中等教育局特別支援教育課企画官、東京都教育庁義務教育特別支援教育課長を経て、昨年7月から現職。
下記リンクのヤフーニュースは、河北新報様です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080524-00000002-khk-l03FC2 Blog Ranking クリックをお願いします
theme : 岩手県
genre : 地域情報
tag : 世界文化遺産 登録延期 平泉 岩手 浄土思想 イコモス ユネスコ